この章で分かること
- 基礎学習と実践学習は、何がどう違うのか
- 段階を移る目安をどこに置くか、そしてその目安の限界
- 目安の測り方と、よくある3つの誤解
- 最小核 → 全体像 → 目的別、という進み方
- 自分の素材を選び、次の7日間を決める方法
前章の要約| 第3章では、リハーサルの3条件として絵・感情・状況を扱いました。条件がそろえば少ない回数で入り、そろわなければ回数を重ねても入りません。あわせて、日本語を禁止せず英語にしやすい形へ整えること、反復を回数ではなく解像度として捉えることを扱いました。この章では、その作業をどの英語に対して行うのかを決めます。
終わらない理由は、線がないこと
英語学習でいちばんよく聞く質問の一つが、これです。
「基礎は、どこまでやれば終わりますか。」
そして、この質問に対する一般的な答えが、事態を長引かせています。「基礎に終わりはありません」「土台は何度でも固めましょう」。真面目な答えですし、ある意味では正しい。ただ、この答えを受け取った人は、実際にはこうなります。基礎が終わらないので、いつまでも実践に出ない。
第1章で挙げた5つ目の停滞タイプ、実践回避です。もう使える段階まで来ているのに、「もう少し準備してから」と言い続ける。本人には努力している実感があるので、いちばん気づきにくい。
一方で、逆の失敗もあります。土台がないまま実践に飛び込んで、毎回同じところで崩れる。会話の場に出るたびに、基本動詞と時制と音のつながりのところでつまずいて、自信だけが削られていく。
どちらも、線がないから起きています。前に進むか、留まるか。その判断を毎回その日の気分でしている状態です。
スポーツで考えると分かりやすいと思います。基礎練習と試合は、目的が違います。基礎練習は、多くの場面で繰り返し使う動きを、迷わず出せるようにする作業です。試合は、目の前の相手に合わせて、持っている力を使う作業です。そして、基礎練習が完璧になるまで試合を待つ必要はありません。 ある程度まで来たら試合に出て、そこで見つかった穴を基礎練習に戻して埋める。この往復が上達です。
英語も同じです。必要なのは「基礎の完成」ではなく、「実践に出ていい線」です。
二つの学習は、目的が違う
まず、それぞれの中身をはっきりさせます。
基礎学習|どんな英語にも出てくるものを扱う
基礎学習で扱うのは、多くの素材で繰り返し出てくる要素です。
- 基本文法
- 基本動詞(get、have、come、go、take、give など)
- 前置詞
- 冠詞
- 時制
- 基礎語彙
- 音のつながりと強弱
これらは、旅行の英語にも、仕事の英語にも、映画にも、日常会話にも出てきます。だからここが不安定だと、素材を変えても同じ場所で止まり続けます。教材を変えたのに手応えが変わらない、という経験があるなら、原因はたいていここです。
基礎学習の目的は、毎回立ち止まらずに扱えるようにすることです。完璧に説明できることではありません。第2章で書いたとおり、判断基準は説明力ではなく、場面が浮かぶかどうかです。
そして、基礎学習で行う作業も、インストールとリハーサルです。やることは変わりません。対象が違うだけです。
実践学習|自分がやりたいことから始める
実践学習は、素材の選び方が逆になります。教材が先ではなく、自分がやりたい場面が先です。
手順は5つ。
- やりたい場面を決める(例:現地のカフェで注文して、少し雑談する)
- その場面で起きる会話や行動を想定する
- 必要な英語をインストールする(第2章)
- 絵・感情・状況を伴ってリハーサルする(第3章)
- 実際の場へ出て使い、修正する
旅行、仕事、海外移住、友人関係、趣味、発信。ここから先のテーマは、人によって完全に変わります。だから、実践学習には万人共通の教材が存在しません。それが、この段階に入ると「何をやればいいか分からない」と感じやすい理由でもあります。教材が指示をくれなくなるからです。
指示をくれる相手が、教材から自分に変わる。それが実践学習です。
移る目安を、どこに置くか
では、線をどこに引くか。
僕が使っているのは、この目安です。
その素材を、おおむね9割理解できるか。
9割未満なら、基礎学習の比重を上げる。9割以上なら、実践学習に移る。
ここで、大事なことを先に書きます。
この9割は、試験のスコアではありません。 どこかの機関が定めた基準でもありませんし、測定方法が標準化されているものでもありません。
普遍的な法則でもありません。 すべての学習者に当てはまる自然法則として提示しているのではなく、僕が自分の学習と、これまでの指導の中で使ってきた実用上の目安です。8割で移ってうまくいく人もいれば、9割5分まで固めたほうが安心して進める人もいます。
成果の保証でもありません。 9割に達したから話せるようになる、という約束ではありません。これは到達点ではなく、次にどちらへ時間を使うかを決めるための道具です。
なぜそれでも数字を出すのかというと、線がないほうが害が大きいからです。感覚だけで判断すると、慎重な人は永遠に基礎に留まり、勢いのある人は土台なしで飛び出します。多少荒くても線があるほうが、判断が安定します。厳密さより、判断できることを優先した目安だと理解してください。
目安の測り方
実際にどう測るか。難しくありません。
読む素材の場合。 その素材を1ページ読みます。読みながら、意味が取れずに立ち止まった箇所に印をつけます。1ページに10文あるとして、印が1つ以内なら9割側。3つも4つもつくなら、その素材はまだ基礎側です。
聞く素材の場合。 1分聞きます。スクリプトを見ずに、内容が追えたかどうか。細部が全部聞き取れる必要はありません。話の流れを見失わずについていけたかが判断点です。何度も置いていかれるなら、基礎側です。
ストップウォッチも採点表も要りません。体感で構いません。判断に迷うくらいのときは、たいてい境界にいるので、どちらを選んでも大きくは外れません。
ここで一つ、実務的な補足を。素材は、あなたが実際に使いたい種類のものを選んでください。 ニュース記事で9割を測っても、あなたの目的が旅行の会話なら、その数字はあまり意味を持ちません。測る対象は、目的に近い素材にします。
3つの誤解
この目安は、よく誤解されます。先に潰しておきます。
誤解1|自分の英語力が9割ある、という話ではない。 これは素材ごとの判定です。同じ人が、日常会話の音声では9割を超えていて、専門的な講演では5割ということは普通に起こります。だから「私は基礎段階です」「私は実践段階です」という固定的なラベルにはなりません。素材を目の前に置いて、そのつど判定するものです。
誤解2|9割は「完璧の少し手前」ではない。 9割という数字を見ると、あと1割を埋めなければと考える人がいます。逆です。この目安が言っているのは、残り1割は分からないまま進んでいいということです。むしろ、分からない1割があるからこそ、実践の中で拾うものが出てきます。全部分かる素材だけを使い続けるより、少し未知のある素材へ進んだほうが、新しく拾えるものが増えます。
誤解3|9割未満なら実践してはいけない、ではない。 比重の話です。9割未満でも、英語を使う場に出る予定は持っていてください。ただ、そこで得られるものは「実力の発揮」ではなく「自分に足りない要素の発見」になります。それは十分に価値があります。基礎側にいる人が実践に出るときは、成果を期待するのではなく、次に基礎で何を扱うかを見つけに行くつもりで出るとうまくいきます。
進む順番|最小核 → 全体像 → 目的別
もう一つ、順番の話をします。基礎学習の内側にも順番があります。
第1段階|最小核。 まず、頻度が極端に高いものだけを扱います。基本動詞のいくつか、よく使う前置詞、基本的な時制。ここは第2章のやり方で、核を一つ持つ形で入れます。数は少なくて構いません。少ないものを深く扱うのが、この段階の目的です。
第2段階|全体像。 次に、抜けを埋めるために全体を一周します。文法の項目を、一つずつ完璧にするのではなく、どこに何があるかを把握するために通ります。地図を作る作業です。ここで完璧を目指すと、多くの人が中盤で力尽きます。目的は把握であって、習得ではありません。
第3段階|目的別。 ここから、自分の目的に合わせて個人化します。仕事なら仕事の、旅行なら旅行の。ここに入った時点で、教材選びの主導権は完全にあなたに移ります。
この順番が崩れると、何が起きるか。最小核を飛ばして全体像から入ると、細かい項目に時間を取られて、頻度の高いものが薄いまま終わります。全体像を飛ばして目的別に入ると、自分に何が抜けているかが分からないまま、行き当たりばったりになります。
順番があるだけで、迷う回数が減ります。
先回りして、いくつかの疑問に答えておきます
「一度実践に出たら、基礎に戻るのは後退ですか。」 違います。むしろ、実践に出た人ほど基礎に戻る価値があります。使った場面で詰まった箇所は、あなたにとって本当に必要な基礎です。教材の目次順に埋める基礎より、はるかに効率がいい。往復するのが正常な形です。
「9割かどうか、自分では判断できません。」 判断できないと感じるとき、多くの場合はまだ基礎側です。9割側にいる人は、素材を読んで「だいたい分かるけど、ときどき引っかかる」という感覚を持ちます。それが分からないくらい負荷が高いなら、素材のほうを易しくしてください。素材の難易度を下げることは、レベルを下げることではありません。 段階を選び直しているだけです。
「基礎と実践を、両方同時にやってはいけませんか。」 やって構いません。実際、多くの人は両方混ざっています。この目安は、どちらか一方を禁止するためのものではなく、限られた時間をどちらに多く配るかを決めるためのものです。週に5時間使えるなら、そのうち何時間を基礎に置くか。その配分を決める道具だと思ってください。
「忙しくて、まとまった時間が取れません。」 基礎学習は分割できます。第3章の1文単位の作業は、10分あれば成立します。むしろ、まとまった時間を待っている人ほど、着手が遅れます。時間の量より、予定に入っているかどうかのほうが効きます。この話は次の章でします。
「教材は、何冊も持っていて構いませんか。」 持っているのは構いません。ただ、同時に進めるのは1冊にしてください。第1章で書いたとおり、教材が増えるのは不安の産物であることが多く、増えた冊数と進んだ距離は比例しません。
今日の一歩
今日は、判定を一つと、決定を一つしてください。
判定|あなたの素材を、9割基準で測る。 今いちばんよく使っている素材を一つ開いてください。1ページ読むか、1分聞きます。立ち止まった箇所を数えます。
- 立ち止まりが多い(10のうち3つ以上)→ 基礎側
- ときどき引っかかる程度(10のうち1つ以下)→ 実践側
- ほとんど引っかからない → その素材は易しすぎます。実践側の、もう少し目的に近い素材に変えてください
決定|次の7日間を、どちらに置くか決める。 判定に応じて、今週の時間の置き場所を決めます。
基礎側なら、扱う要素を一つだけ決めてください。基本動詞を一つ、前置詞を一つ、時制を一つ。複数決めないでください。それを第2章の4列(訳語・場面・動き・焦点)で観察し、第3章の3条件で1日1文ずつリハーサルします。
実践側なら、やりたい場面を一つだけ決めてください。そして、その場面で自分が言いそうな文を3つ書き出します。3つです。全部は要りません。その3つを、3条件を伴ってリハーサルします。
紙でもメモアプリでも構いません。書いてください。決めたことを書かないと、来週の自分はまた判断からやり直すことになります。
次の章へ
ここまでで、何を、どの順番で、どこまでやるかが決まりました。理論としては、これで英語を自分のものにする設計は一通りそろっています。
ただ、正直に書きます。設計がそろっても、続かなければ何も起きません。
そして、続かない理由を意志の弱さに帰しても、何も解決しません。仕事があり、家族があり、体調があり、予定外のことが起きる。そういう条件の中で、それでも英語に触れ、使い、修正する行動が起き続けるには、別の仕掛けが要ります。
第3章の課題で、「状況」の欄が埋まらなかった人がいたと思います。いつ、誰に、どこで言うのか。それが出てこなかったのは、あなたが英語を使う予定を持っていないからでした。
次の章で、そこを扱います。英語を使う予定は、待っていても発生しません。作るものです。そして、それを作る作業のことを、僕は環境設定と呼んでいます。
最終章では、環境の話から始めて、このシリーズ全体の結論まで進みます。英語学習を終わらせるとは、どういう状態なのか。
この章の判定を、実際の教材選びにどう当てはめるか。具体例は無料メルマガでお届けしています。 → 無料メルマガで、実践の続きを受け取る